物語で出会う 会津ごころ story THAT LEAD YOU TO THE HEART OF AIZU

色のある祈り

  • CATEGORY:伝統
  • THEME:祭事

南会津町、「田島」。美しく不思議なお祭りが古くから伝わる地域である。

「会津田島祇園祭」京都・博多に並ぶ三大祇園祭のひとつ。

短い夏の朝、山の陰影がうすれてゆくにつれて、町には静かな熱が満ちてくる。太鼓が遠くで重なり、家々の前に人が集う。三日間(例年7月22〜24日)続く祭礼のなかでも、もっとも早い時刻に始まる儀礼がある。七つの器を神前へ捧げる「七行器(ななほかい)行列」だ。

七行器は、七つの器に濁酒(御神酒)・赤飯・鯖を整え、奉持して奉献する神事である。供え物の重みを支える肩に、朝の涼しさがすっと降りる。列は端然と組まれ、七度の使い、警固、行器の奉持者、当番の家々がゆっくりと町筋を進む。所作は大仰ではない。静かで、崩れない。

この行列が「花嫁行列」と呼ばれてきたのは、晴れ着の女性たちが列に加わるからだ。装いはひと色ではない。未婚の女性は島田髷に振袖、既婚の女性は丸髷に江戸褄。そのほか晴着盛装——人生の段を示す装束が、同じ祈りの中で並び合う。紅や藍、金糸のきらめきが朝の光にほどけ、白足袋の足取りが石の肌を確かめる。

祭りの背骨を支えるのは「お党屋(おとうや)」と呼ばれる当番の仕組みである。宮司だけに委ねず、町の側が担い続けてきた役回り——準備は半年前からはじまり、段取りは代々の手で受け渡される。各々が自分の役を淡々と果たすことが秩序をつくり、その秩序が祈りを守る。

この祭礼は、八百余年の歳月を織り込み、昭和五十六年(1981)には国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。変わらない核を保ちながら、時代ごとの暮らしの手触りを吸い込んで現在にいる。山に囲まれた土地の四季、長い冬、行き来の少なさ——そうした前提の上に、喜びをかたちにしてきた歴史がある。

花嫁と呼ばれる人々の衣は、もともと「個の晴れ」を象る装いだ。ここではその晴れが、共同の祈りへ溶けていく。誰か一人のための布が、まち全体の安寧を願う衣に変わる時、装束は色ではなく「意味」を帯びる。白は清らかさの芯となり、色は暮らしの温度を添える。どちらも欠けない。どちらも過不足がない。

不便さや厳しさは、ただ克服されるだけのものではない。ここでは、人のあいだに灯をともす理由になってきた。雪に閉ざされた季節、火を囲むように作られた気配は、夏の祭礼にも息づいている。装いの背後にある手間と仕度、沈黙の呼吸、役割を受け持つ意志——そのすべてが、行列の歩みに宿る。

列は進む。七つの器の重さが少しずつ肩に移り、衣の裾が風に鳴る。紅も藍も白も、同じ光のなかでやわらかく混ざり合う。装束は語らないが、色が語る。色は喧しくならない。祈りの色は、静かに町をあたためる。

足音がゆるやかに遠ざかると、通りには朝の気配が戻る。祭りは終わりへ向かいながら、次の年のはじまりをひそかに支度している。役は交替し、手は替わる。けれど、受け渡されるのは段取りだけではない。人を思う作法、まちを生かす手つき——それらがまた、別の肩にのる。

この山あいの町では、華やぎは飾りではなく、暮らしの延長にある。花嫁行列の色は、過去を飾るためではなく、いまを照らすためにある。だから祇園祭は、美しいだけで終わらない。祈りが色をまとってあらわれ、色が祈りの中へ還っていく。その循環が、町を静かに強くしていく。


Place:南会津町田島地内
最寄り駅:会津田島駅