物語で出会う 会津ごころ story THAT LEAD YOU TO THE HEART OF AIZU

残された街並みや空間が、
今の私たちを
過去の時代とつなげてくれるんです。

  • CATEGORY:歴史
  • THEME:街並み
  • 話を聞いた人:七日町通りまちなみ協議会 庄司裕さん

ステンドグラスから差し込む光とあたたかいオレンジ色の照明。

落ち着いた空気の中に、どこか背筋の伸びる緊張感が漂う厳かな空間。

「ここ渋川問屋は、かつて会津でいちばんの海産物問屋だったんです。
二・二六事件で唯一処刑された民間人・渋川善助が幼少期を過ごした場所でもあります。
いまは郷土料理店として、七日町通りを象徴する存在でもあります。」

そう語るのは、七日町通りまちなみ協議会の代表・庄司裕さん。

七日町通りにある渋川問屋「喫茶開花」にて、庄司さんは自ら制作したまち歩きMAPを指さしながら、七日町の歩き方を教えてくれる。

「七日町通りは、かつて会津でいちばん活気のある繁華街でした。

時代の移り変わりとともに、町の姿も変わっていったんです。」

庄司さんが会津に戻ってきたのは2001年。
東京の大学を卒業し、テレビCM制作や新聞社で働いたあと会津若松に帰郷し、「七日町通りまちなみ協議会」を立ち上げた3人組のうちの1人だ。


「戻ってきたときは、七日町の3軒に1軒が空き家でした。だから、渋川問屋の会長で高校時代の友人でもある渋川さんとともに、協議会を立ち上げたんです。」

「幸せ回廊」と名付けられた七日町通りの中に点在するお店や寺社の数々。
古い建物を生かした穏やかな景観を誇る七日町通りは、散歩やまち歩きにぴったりな観光エリアとして紹介される。

「空き店舗には、自分たちで声をかけて新しいお店をやってくれる人を誘致しました。

歴史的に価値のある建物がたくさんありますから、このままじゃいけないと思って。」

庄司さんが指さしたのは、とある交差点だった。

「この町の中心「大町四ツ角」を見ると、道路が少しだけずれているのがわかります。昔、水路が通っていた名残なんですよ。」

ちょっとした区画のズレが、かつての町人、商人たちの暮らしを想像させる。

「阿弥陀寺には、新撰組の斎藤一と一緒に眠る無名戦死者の墓があります。無名戦死者を弔うことは、当時は新勢力に反旗を翻す行為でした。だから誰もやらなければきっとそのままだった。それで、自分の身分を“非人”まで落として葬った会津藩士がいたんです。」

会津の人は義理堅いとはよく言われるが、実際の歴史的エピソードがそれを裏付けていく。

「会津の人は、愚直なんですよ。愚かに見えるかもしれませんが、“ウソも方便”じゃなくて、“ウソは恥”と思っていた。これはもう、歴史的な気質かもしれないですよね。」

「過ぎた時間を共有することはできません。でも、空間なら共有できる。空間があれば、昔とつながれる。七日町を歩くと、それを感じられるんです。」

町をつくった人と、それを残そうとする人。

穏やかな町並みから、今と昔の確かなつながりを感じられる。

庄司さんが提案する七日町通りのまち歩きは、愚直なまでに、会津ごころに満ち溢れていた。


Place:会津若松市七日町
最寄り駅:七日町駅